「京都にいる巫女に伯家神道を授けてもらった」は本当か/伯家神道のウソ・ホント
「京都にいる巫女に伯家神道を授けてもらった」は本当か
伯家神道を自らが継承したと名乗る人の中には「京都にいる巫女に授かった」と証言している者がいるが、本当だろうか。
- 現代において、伯家神道を継承している団体はあったのか?
- その団体は、実際に伯家神道を受け継いだのか?
について、検証する。
伯家神道を継承している団体は?
1、伯家神道伝承奉賛会/近江神宮(滋賀県・現在は伝授しておらず)
伯家神道の系統を自称する「大和本学(やまとほんがく・正統な流れではない。詳細は後述)」でお行を積んでいた、故・O女史が指導していたもの。
※O女史は、上記書籍の中ではフルネームでの記載あり。
<POINT>「京都にいる巫女に教わった」という説があるが?
→伯家神道伝承奉賛会における行の伝授は、滋賀にある近江神宮内であった。O女史は京都に住んでいたため、言葉としては京都の訛りがあったと思われるが、人に伝える場合は「滋賀の巫女様」と伝える方が適切ではないだろうか。
<POINT>本当に伯家神道の流れだったのか?
→指導にあたっていたO女史は、大和本学で伯家神道の修行を積んでいた。もともとは一介の主婦だったという。
しかしそもそも、O女史が修めていた大和本学の創始者である小笠原大和が、どういった経緯で大和本学を始めたのか、という点が重要である。
小笠原大和は、かつては伯家神道の正統な継承先である和学教授所(後述)で修行をしていた。
その時の和学教授所で五代目を継いでいた中村新子に指導を受けていたが、小笠原大和はある問題行動を起こす。
和学教授所にある書き物(秘伝書)を勝手に持ち出し、書写したのである。
しかもその資料を元手に、和学教授所では「教会を作ってはいけない」という規則があるにも関わらず、それを破り、大和本学を創設してしまうのだ。
こういったことがあり、小笠原大和は中村新子より破門された。
このようなことから、大和本学は、伯家神道の修行を一時期は受けていた小笠原大和が、資料を盗み、禁を犯して新たな教会を起こした結果できたものであるため、正統な流れを汲んでいるとは言い難い。
2、和学教授所については、次回考察。
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★この記事は、下記の書籍を参考にしています
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『伯家神道の道統』
著者/永川辰男(ながかわ・たつお):昭和27年生まれの著者・永川は皇學館大學卒業後、琵琶湖畔の近江神宮に神職として奉職する。そこで伯家神道と出会う。
48歳で近江神宮を退き、古気道道場の”楽古舎”と審神神事神傳相承修行道場の”玉鉾会”を主宰する。